日本オリンピック委員会(JOC)は11月19日(土)と20日(日)の2日間、JOCパートナー都市である熊本県、熊本市で発生した地震に関する支援活動を現地で実施しました。今回の活動は地震により被災した子どもたちに夢や希望を届けることを目的とし、リオデジャネイロオリンピックでメダルを獲得した萩野公介選手(水泳・競泳)と三宅宏実選手(ウエイトリフティング)、JOCアスリート専門部会の副部会長を務める高橋尚子さん(陸上競技)が、熊本県内の6つの中学校を訪問。地元の小中学生を対象に、オリンピックにまつわるトークショーやQ&A、記念撮影などを行いました。
萩野選手と三宅選手はリオデジャネイロオリンピックの公式服装に身を包み、獲得したメダルを下げて登場。ナビゲーター役の青谷倫太郎キャスターの呼び込みで会場に姿を見せた2人は、集まった子どもたちや保護者の皆さん、近隣の住民の皆さんから大歓声と拍手で迎えられました。
■メダリストによるトークショー ここでしか聞けない裏話も
各校でのトークショーは高橋副部会長が司会を務め、リオデジャネイロオリンピックの裏話をはじめ、競技生活から日常生活まで、普段聞くことができない貴重な話が次々に飛び出しました。周囲の期待に応えて日本の金メダリスト第1号となった萩野選手は「寝るのが大好きなのでレースの日はいつも昼寝をするのに、今回は緊張で眠れませんでした」と、レース当日の心境を告白。15歳のときにシドニーオリンピックを見たことが競技を始めるきっかけになったという三宅選手は、中学時代は手芸部で活動したりピアノを習うなど、スポーツとは無縁の生活を送っていたという意外なエピソードを明かしました。
また、両選手にまつわるクイズも出題。「萩野選手は普段の練習で、25mプールを何往復するか」「三宅選手は一度にどのくらいの重量を挙げられるか」というお題に、子どもたちは次々と数字を口にします。それぞれ「300往復」「107kg」という正解を出すと、驚きの声があちこちから聞こえ、その数の大きさからトップアスリートのすごさを実感した様子が伝わってきました。
両選手への質問コーナー(後述)を経て、最後は子どもたちへのメッセージとして「夢をかなえるために大切にしてきたこと」と今後の目標を語りました。萩野選手は「夢は大きければ大きいほど良いと思いますが、遠くを見続けるとしんどくなります。まずは目の前に小さな目標を作って、毎日一つずつ、一歩一歩達成していけば、必ず大きな夢にたどり着くと思います。4年後の東京オリンピックでは、出場するすべての種目で金メダルを獲ることが目標です!」と力強く宣言。三宅選手は「好きな気持ちと諦めない心があれば、夢はきっとかないます。失敗を恐れずにいろんなことに挑戦して下さい。大変なこともたくさんありますが、その過程が大事だと思います。私も2020年に向けて、年齢に負けないようにチャレンジをしたいと思っています」を更なる飛躍を誓いました。
■第1日(11月19日)のダイジェスト
<南阿蘇村立南阿蘇中学校>
村内の3つの中学校が今年4月に統合され、新たな出発をした矢先に震災に見舞われた同校は、体育館が避難所となり約4週間の休校となりました。主要な交通網が大きな被害を受けて他校への転出を余儀なくされた生徒や、仮設住宅から通学をしている生徒が数多くいる中で、多くの部活動で県大会や九州大会に出場するなど明るいニュースももたらされています。当日は在校生と近隣の5つの小学校の生徒や保護者の皆さんなど、合わせて約300人が集まりました。
・質問コーナーハイライト
「疲れて体が動かないときはどうしますか?」「自己ベストを教えて下さい」といったアスリートの生活に迫る質問が多く寄せられました。「緊張をほぐすルーティーンはありますか?」という問いに「歌を歌ったりしますよ」と答えた三宅選手。「僕も歌います」と応じた質問者の男子生徒に三宅選手が「歌ってみる?」と返す場面も。大きな声で堂々と「明日があるさ」を披露した生徒には大きな拍手が送られました。
<嘉島町立嘉島中学校>
入学式から3日後に被災した町内唯一の中学校は、震災後約3週間の臨時休校となりました。校内は足の踏み場もないほどの被害を受けましたが、生徒たちは自主的に町のボランティア協会に登録し、積極的に活動に参加。学校再開後も生徒会を中心として復興プロジェクトを立ち上げ、避難所が8月末に閉鎖されるまで清掃活動を毎日行う様子は町民の方々に多くの勇気を届けました。この日は在校生と町内に2校ある小学校から約300人が集まりました。
・質問コーナーハイライト
「健康管理で気をつけていること」「早く泳ぐコツ」といった運動部員からの質問に加え、「いつもどのように感謝の気持ちを伝えていますか?」という質問も。「『ありがとう』は魔法の言葉で、言うと自分も気持ちが良くなります。両親に向かって言うのは恥ずかしいけど、そこを取り払って普段から言うようにしています」と答えた三宅選手に対し、萩野選手は「恥ずかしくてなかなか言えないのですが、オリンピックの後家族で食事をする機会があったので、ちょっとごまかしながら『ありがとう』って言いました(笑)」と明かしました。
<熊本市立東野中学校>
震度7を2度記録した益城町に校区が隣接している同校には、一時800名以上の住民の皆さんが身を寄せました。度重なる地震で大きなダメージを受けた校舎は立ち入り禁止に。5月10日の再開直後は体育館や武道場を間仕切りしての授業で苦しい環境にありましたが、現在は夏休みに完成した仮設校舎で授業を行っています。体育館には近隣小学校3校を含め、この日最大の約700人が集まり、メダリストを歓迎しました。
・質問コーナーハイライト
ここでは水泳をやっている生徒たちから萩野選手に多くの質問が寄せられました。「平泳ぎのコツ」については「僕も知りたいです!」と和ませながらも、「しっかりと掻いて、しっかりと蹴ること」と回答。「バタフライのコツ」は「頑張って進もうと思うより、体の重さを利用して伸びるイメージ。水に体を任せることが大事です」とより具体的にアドバイスを送りました。
東野中訪問後は移動のバスの中から熊本城を見学。同乗した熊本市経済観光局スポーツ振興課の蔵土藤四郎主査から、被害の様子や再建までの道のりについて説明を受けました。
■第2日(11月20日)のダイジェスト
<熊本市立藤園中学校>
熊本城のふもとに位置する同校は、1984年ロサンゼルスオリンピック柔道男子無差別級金メダリストでJOC理事を務める山下泰裕さんの母校。校内の武道場には「山下記念展示室」があり、萩野選手、三宅選手、高橋さんは山下さんがオリンピックで着用した柔道着や公式服装などを興味深く見学していました。震災後は3週間あまりの休校を経て、5月22日には体育大会を実施。昨年度より建設中だった体育館が8月末に完成し、今回、生まれ変わった新体育館には近隣小学校1校の生徒と合わせて約400人が集まりました。
・質問コーナーハイライト
「中学時代の思い出は?」「好きだった教科と嫌いだった教科」など、当時を振り返る質問のほか、「熊本城を見てどう思いましたか?」という、熊本城に近い同校ならではの質問がありました。萩野選手は「テレビで見るのと、実際に見るのとでは全然違いました。修復するには途方もない時間がかかると聞いて、地震のパワーの大きさを身にしみて感じました」と神妙な面持ちに。三宅選手は「言葉を失ってしまいました。歴史がある建物なので、1日も早く、またたくさんの皆さんに見てもらえるお城になってほしいです」と復興への願いを語りました。
<西原村立西原中学校>
4月16日の本震で震度7を記録した西原村は、訪問2日前に県内で唯一残っていた避難所が閉鎖されたばかり。震災後は校内に避難所が併設された影響で体育館も運動場も使えず、5月の体育大会をはじめ数々の学校行事が中止になりました。この日は年に1度の恒例行事である「西原村ふれあいまつり」の開催日にあたり、ステージプログラムの一環としてトークショーを実施。最後は両選手も加わって伝統の「餅投げ」が行われました。
・質問コーナーハイライト
九州大会への出場が決まっている女子ソフトボール部の生徒から、トップアスリートの「食」に関する質問が多く寄せられました。「試合の前に必ず食べるものは?」という質問に「やっぱりお米です。海外でも日本のお米を食べて、日本を感じて頑張っています」と答えた萩野選手は高校時代1日8食食べていたそう。三宅選手は「計量があるので前日は食べないのですが、計量が終わって試合までの2時間くらいで、おにぎりやうどんをものすごく食べます」と競技特有の食事のとり方を紹介しました。
次の御船中に向かう道中には熊本県教育庁教育指導局体育保健課スポーツ振興係の山村哲也指導主事が同乗し、震災の爪痕が色濃く残る益城町を通りながら現在の町の様子について伺いました。また、イベントの前には同校の近くにある「御船町スポーツセンター」へ。訪問日の5日前から営業を再開したばかりのプールで行われていた水泳教室を訪問し、約50名のスクール生たちに激励のメッセージを伝えました。
<御船町立御船中学校>
震源地の益城町に隣接した町内唯一の中学校は、多いときで約600名の方々が避難先として利用。5月9日の再開後は、国道の被災で通学できなくなった町内の滝尾小学校の児童と一緒に学校生活を送りました。夏休みは例年よりも約2週間短くなりましたが、リオデジャネイロオリンピックを題材にしたレポート執筆が宿題として課されたとのこと。近隣小学校6校の児童も加わり、約600名を前にしてのトークショーとなりました。
・質問コーナーハイライト
夏休みの宿題で三宅選手を題材にした浦上心菜さんが紹介されました。「腰の調子が悪い中で試合に出てメダルを獲られたことにすごく感動したので、三宅さんのレポートを書きました」という浦上さん。事前にそのレポートをもらったという三宅選手は「なかなか経験できないことなので、すごくうれしかったです。これから辛いことがあったときに見て、頑張ろうと思います」と喜び、暖かな空気に包まれました。また「辞めたくなったことはありますか?」という質問には、萩野選手も三宅選手も「ある」と答えながらも、競技が好きな気持ちがあるからこそ続けられていると、口をそろえました。
■萩野選手、三宅選手、高橋さんからのメッセージ
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