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2014.02.19 オリンピック

【特別インタビュー】羽生結弦/男子フィギュアに新たな歴史を刻んだ19歳

【特別インタビュー】羽生結弦/男子フィギュアに新たな歴史を刻んだ19歳
男子フィギュア初の金メダルを獲得した羽生選手(写真:アフロスポーツ)

 ソチオリンピックのフィギュアスケート男子シングルで優勝し、チームジャパンに2大会ぶりの金メダルをもたらした羽生結弦選手。19歳で初出場したオリンピックで何を感じ、どのように戦ったのか。自身の考える「オリンピックの魔物」とは。そして、「フィギュアスケーター・羽生結弦」のルーツである仙台への思い――。1932年レークプラシッド大会に初参加してから82年、男子シングル史上初めての快挙を達成した羽生選手に、今大会を振り返っていただきました。(取材日:2月15日)


■初めての大舞台は「普段と同じ試合」

――初めてのオリンピックはどうでしたか?

 僕にとってオリンピックというのは、祭典とか特別な試合という枠ではなくて、ただただ最高の舞台、という感じで漠然としていました。ソチに入った後や、団体戦が終わった後からショートプログラムまでの間は、「これがオリンピックか!」という感じがすごくしていたのですが、いざスケート靴を履いて練習してみたら、もうほとんどオリンピックだという感覚はなかったですね。どんな試合でも緊張するから、それが一緒なんだなと思いました。

――「自分は今、オリンピックで演技をしている」という感覚はなかったのですね。

 実際に行ってみると、あまり感じませんでした。ただそれは、あくまでも自分の解釈ですが、頭の中で感じないように処理していたんだと思います。人間の体ってショックを受けると痛みを感じなくなりますよね。そういう現象に陥ってたんじゃないかと。それが緊張や体の硬直、呼吸の速さ、脈拍数、そういうものにすべてつながっていって、最終的にはベストパフォーマンスができない。それが“オリンピックの魔物”なのかなと思います。

――実際に脈拍が上がっていると感じていたのですか?

 すごく感じていました。ただ、僕はどちらかというと緊張している時の方が結構いいパフォーマンスができるタイプなので、緊張は嫌いではないですし、何とかなるという感覚はありました。やっぱりどこかしら処理できない、見つめ切れない自分の緊張感というものがあったんだと思います。

【特別インタビュー】羽生結弦/男子フィギュアに新たな歴史を刻んだ19歳
団体戦では高得点で1位のポイントを獲得した(写真:フォート・キシモト)

■個人戦に向けていい収穫になった団体戦

――お客さんの雰囲気はどうでしたか? 団体戦の時は雰囲気が独特でしたね。

 そうですね。でも実は僕、「ロシア」コールじゃなくて自分のコールだと思っていて、すっごくうれしかったんですよ(笑)。(リンクに)入る前からコールされて、こんなに気持ちいいことはないと。

――自分でそう思うようにしたのではなくて、勘違いだったのですか?

 完全に勘違いです(笑)。緊張していて、自分の演技が始まる前の1分間でも「絶対に俺のコールだろ」と思って、すごくうれしくて。それでいい演技ができて、帰って(映像を)見直したら、どうしても「ロシア」にしか聞こえないから、「あれ、おかしいな」と(笑)。そのとき初めて気づきました。

――あとから気づいてよかったですね。

 よかったです! 「ロシア」だと分かったら、精神的に違っていたかもしれません。初めての団体戦で先頭バッターというプレッシャーもありましたし、そのなかでいい滑り出しができたので、すごくうれしかったです。

――団体戦は初めての経験ですが、チームで戦ってみてどうでしたか?

 緊張しましたね。すごく緊張しました。自分がまずやらなきゃと思って……やらなきゃと思ってる時点でマイナスなんですけど(笑)。「エース羽生」と報道されるプレッシャーもありましたし、その中でできたということは個人戦に向けてのいい収穫、経験になったなと思います。

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表彰式では満面の笑みで記念撮影。銀メダルのチャン選手(右)、銅メダルのデニス・テン選手(カザフスタン・左)と(写真:AP/アフロ)

――個人戦に入ってから日本のファンも増えたと思いますが、声援は聞こえましたか?

 すごく聞こえました。団体戦でもチームの浅田(真央)さんや鈴木(明子)さんも応援してくれましたし、個人戦のときもたくさんの応援が聞こえました。テレビの前で応援して下さる方の雰囲気もやっていて感じられたので、ギリギリの勝負でしたが、(ファンの皆さんに)助けてもらいました。

――自身の競技は終わりましたが、女子の応援には行きますか?

 もうすぐ始まってしまうので、行けたら行きたいですね。

――演技直後はかなり悔しかったと思うのですが、フラワーセレモニーやウイニングランではうれしそうにしていたのが印象的でした。

 うれしさというよりも、びっくりしてハイになっていたという感じでした(笑)。やっぱり自分が納得できなかったし、悔しかったし、最後のポーズで「ダン!」と手をついた瞬間に「あ、俺のオリンピックはこれで終わった」と思いました。誰しもがそう思いましたよね(笑)。うれしくないと言ったら嘘になりますが、うれしさというか、そういうものを感じることはまだなかったです。

――パトリック・チャン選手(カナダ)とは何か話をしましたか?

 僕自身がパトリック選手の演技をすごく応援していたので、「どうしたの? 何が起きたの?」という話はしました。彼も「分からない」って言っていましたし、自分もいい演技ができなかったので、多分同じ境遇にいたと思います。彼とはまた試合で会うと思うので、今度はお互いに全力でぶつかりたいと思います。

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震災後は「逆に被災地の皆さんから勇気をもらった」(写真:アフロスポーツ)

■生まれ育った仙台、東北への思い

――宮城県出身ということで、東北の皆さんにすごく勇気や元気を与えられたのではないかと思いますが、改めて皆さんへの思いを教えて下さい。

 震災があったシーズン(2011年〜12年シーズン)は練習環境もあまり整っていなくてつらかったです。そのシーズンの初めごろは「僕が何かしなきゃ」とずっと思っていました。シーズン最後の世界選手権で銅メダルが取れたのですが、そのとき、被災地の方々、東北の方々がすごく僕を支えて下さって、逆に勇気をもらっていたなと思ったんです。

 今回も被災地を含めた東北の方々や宮城県、仙台市のみなさん、また日本で応援して下さっている人たちがたくさんいました。その方々にどれだけ勇気をもらえたか、どれだけ背中を押してもらえたかをすごく感じているので、逆に本当にありがとうございましたと言いたいです。もしかしたら、この金メダルは羽生結弦じゃなくてもよかったかもしれません。でも、僕というその存在の中にたくさんの思いが宿っていると思うので、決して一人じゃないということを忘れないようにしたいですね。本当にうれしかったです。

■羽生選手からのビデオメッセージ

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